いよいよ12月になりましたね。
街はクリスマス飾りがきれいなってきましたね。聖路加ガーデンの2階にある大屋根広場もきれいなクリスマスツリーが飾られていますよ。お近くにお見えの際はご覧になってみてください。
ブローネマルク教授は1952年にチタンが骨とくっつく事を発見しました。このチタンが骨とくっつく仕組みの事を、「オッセオインテグレーション」って名付けたのです。
難しい言葉はさておき、その後13年にも及ぶ研究の末、1965年に患者さんにインプラント治療して、40年も経っている。前回のケーキ思い出して下さいね。
またまた、ちょっと変ですよね、もしそうならインプラントは、うまくいっている物だし、最初の表の向かって左側の赤印の様なイメージは抱かれないはずですよね。
ということは、実際には上手くいかないインプラントも世の中では、使われてしまっていたという事になります。
現存する文献からは、ブローネマルクインプラント以前の物は、先ほどの真珠貝インプラント以外は骨と直接ついていなかった。
つまり、「1965年以前のインプラントは骨と直接結合しないものが殆どであった。にもかかわらず、様々なインプラントが使用されてしまっていた。そして、その中の一部のインプラントとその後も科学的に裏付けのないインプラントが最近まで使われてしまっている。」ということになります。
ブローネマルクインプラントが上手くいったからという事で、見よう見まねのインプラントが開発されたり、よかれと思いブローネマルクインプラントをその本質を振り返る事なく勝手にアレンジした物が開発され、良いものと良くないもの全てがひとくくりにされ、インプラントと呼ばれ一人歩きを始めてしまっていたのです。
つまり、玉石混淆だったといえるでしょう。
その結果として、良い評判と悪い評判がたってしまい現在のようになってしまった。
そして、評判評価という物は往々にして、悪い物の方が広がり易く、例えば、日本では、少なくとも1980年代いや、1990年代初期まで、インプラントという分野は大学の歯学教育でもほとんど取り上げられないどころか、インプラントをひとくくりにして、だめなものというレッテルを貼っている大学関係者もいたという状態だったのです。
そして、ブローネマルクインプラント以前のインプラントが、惨憺たる物であったという経緯とブローネマルク教授がスウェーデン人であり、医師で、歯科医師ではなかった。この事があとで、ブローネマルクインプラントに不幸を招く事となった可能性があると言われています。
いったいそれはどんな事だったのでしょうか?
次回をお楽しみに。